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2017年3月24日(金曜日)

原子力規制委員会が見直した原発事故避難の疑問

カテゴリー: 16時24分47秒

■■■特別養護老人ホーム福寿園■■■
 東日本大震災・東京電力福島原子力発電所事故から丸6年となり、本年、3月11日、14時46分にご利用者、職員といっしょに追悼の黙とうを捧げさせていただきました。
 6年前、これまで経験したことのない激しい揺れ、幸いにも私がいた万葉園(南相馬市鹿島区)は人的被害、物的被害もなく、大きな地震だったなと安易に考えていました。
 時間が過ぎるとともに被害の状況が明らかになり、避難所となった鹿島区の体育館に津波被害者や余震に不安を抱く沢山の人々が押し寄せている状況が刻々と判明し、当法人の職員にも家族を亡くした者、家屋が地震や津波で全壊または半壊で甚大な被害を受けた者が多数いることや、双葉郡の原発が異常を来していること、原発から20キロ圏内の小高区に避難命令が発出されたなど時間を追って緊迫した情報が伝えられ、数日後には、20キロ圏外の原町区の住民にも原発爆発により避難のバスが手配されたなど町全体がパニック状態になっておりました。
 原因は、津波被害や余震の恐怖よりも、制御できなくなった原発が爆発を引き起こし、広範囲に放射能を拡散させ、その影響に対して大きな不安がパニックを引き起こしていたのです。
 当法人には、3か所の特別養護老人ホーム、2つのグループホーム、ケアハウスなどの支援を必要とする利用者230人が残されており全員一緒でなければ避難できないとの考えから身動きが取れず2か所の施設に留まっておりました。
 しかし、住民は散り散りに避難し夜の街から電気が消え、病院は患者の避難に入り外来の対応は途絶え、薬も治療する医師もいなくなり、食糧、経管栄養、おむつなども在庫がなくなり、給食の委託業者の職員もいなくなり食事を作る人もいないという状況が続きました。
職員にも子供や家族がおり放射能の影響を心配して苦悩の選択から日に日に避難して行き、職員は3分の1にまで減り続き、残された職員で施設に泊まり込み食事を2回に減らし最低限の支援しかできない極限の中で利用者のケアに当たりました。
 残ってくれた職員には、家族を正座させ、「いっしょに避難できないから子供たちを頼む」と妻に伝え施設に戻ってくる者。「俺の体は、はだしのゲンのように肉が解け落ち死ぬのかな」、「私は今後子供を産むことができなくなる」、「俺は、2、3年以内に白血病で死ぬのだ」などと考えながら、覚悟して施設に残り必死の支援を続け1週間後に横浜市への避難ができました。
残念なことに利用者の死亡は、平年の3倍に達したのは事実であり、避難が利用者に与える影響は過酷なものがあることも事実でありました。しかし、あの原発爆発直後の誰も経験したことのない状況の中で施設に留まることは不可能であり、志だけで対応できるものではありませんでした。
 疑問に思ったのは、平成29年3月12日の福島民報新聞に「住民避難 基準見直しへ 規制委 原発5キロ圏の高齢者たち」という記事である。内容は、「5キロ圏内に住む高齢者や障がい者ら要配慮者が避難を始めるタイミングを遅らせる。福島の原発事故で無理な避難で犠牲者が相次いだことから、現行の要配慮者を優先したが、原発の新規制基準から判断すると必ずしも逃げる必要がない場合でも避難を強いる恐れがあるとして見直した」という記事である。
 なぜ、避難に時間を要し、厳しい条件が必要となる高齢者や障がい者は、健常者より後に避難させたほうが良いという理屈になるのか理解できない、
 ましてや、多くの要配慮者は一人での行動に障害があることから、家族や施設職員の支援が必要となるのに健常者だけ先に避難せよということなのか、または、志だけで付添者は、がんばれということなのか理解できない。原発事故は、健常者にも要支援者にも想像を超えた過酷な試練をあたえる。新聞の記事の内容が浅はかな私が理解したような内容でないことを祈りたい。原子力規制委員会の今後の方針については目を向けていきたい。

【文:施設長 大内】

 

 





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